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口も休み休み開け。

すっかり春うららですね

空が白んできて
空と海の境界線が分からなくなるみたいに
現実と白昼夢の境目が分からなくなる

ほんまにトチ狂いやすい季節です

春は出会いと別れの季節でもあります
でもそんなに哀しむことなんてありません
出会いと別れなんてバリューセットみたいなものなんですから

都合のいい時だけ浮かれていればいいのです

でも出来ればハッピーセットがいいなぁ


こんな気持ちいい日和は
歌を歌いましょう

大きな声で春を歌いましょう

でもホントに公衆の面前で歌を歌えばそれは痛い子です
変な人です

なんでなんでしょね

皆が皆やりたい事をやりたい様にやっていたら秩序がなくなってしまうからです

いくらボクだってそれくらいの一般常識はわきまえておるつもりです

そんなボクの痛い言動をハイハイって受け流してくれる友達はホントに優しいと思う

無秩序って怖い
スクランブル交差点なんておっそろしい
巨大ショッピングモールっておっそろしい


好きと得意はなかなか折り合いがつかない思うのです

得意でも好きじゃない人

得意じゃないけど好きな人

仕事等等
得意と好きの折り合いをつけれるに越したことはないと思いました

好きなことをして自活している人間なんてほんの一握りなんだから辛抱しなさい

はい



体の役割分担を考えました

結果

口は少し働きすぎだと思いました

目は見るだけ

鼻は嗅ぐだけ

耳は聴いたり

手は掴んだり触ったり撫でたり

でも口は大忙しです

喋る、食べる、飲む、歌う、キスする

食べる、飲むという生命維持のためのエネルギー摂取行動の他に
言葉という厄介な代物も扱わなきゃいけないのです


おまけにキスという人間特有の愛情表現も込みです

なんと慌しいのでしょう

目ん玉も鼻の穴も耳の穴も手も二つあるのに
口は一つしかない

口は三つくらいあったらよかったのに
神様は人間の設計図を間違えたんだよきっと

食べるための口
喋り、歌うための口
キスするための口

あったらよかったのに
残念ですね


でもそればっかりはどうしようもないから

一つしかない口で出来ることを
尊く大切に

食べれる事
喋れる事、歌える事
モチロン
キスできる事だって

もっと大切にね



おわり


うちう。

続けた者が勝ちなんだってさ

ほんとだって
何でもやり続けた者が勝つんだ

そーさ
結局は結果論さ
ラストマンスタンディング

ラストマンになるんだ
最低条件
生き続けるだけでもいい

ラストマンなんだよ

でも
余りに可能性って道が多すぎるよな
無限に広がる
ってすごい恐ろしいことじゃない?

人じゃないよ

現代社会だよ

文明だよ

これ以上発展しないでおくれ


混迷混迷

迷える子羊さ

羊飼いは何処へ行った

めぇー

ファンキーな子羊になりたいね

疑うことを止めたいね



他人に指針を求めてるわけじゃないんだ
単にへそ曲がりなのかもしれないけどさ

そうじゃないんだよね

指針ってのはあまり必要じゃないんだ
必要とされているのは


波なので
きっとそんな波に呑まれるのは心地良いんだ
不安も憂いも疑念も全部呑み込んで洗い流してくれる波
心のどっかで求めてるんだ

みんな光はあそこだ

あそこに向かって走れー

わー

ってのが欲しい
それが現代人の求めているものに思えるな

安心安心一安心

疑いの芽を摘み取れ

キミの努力はきっと報われる
だから何も疑うことはない

そんなことないのー

努力が報われる保障なんてないの

だからと言って
アレも違うこれも違うって

そんなチビリ精神じゃ
もっと駄目なの


ところで
こないだの結婚式の披露宴二次会のミニゲームで貰った景品が
ホームプラネタリウムだったのさ

毎夜ロフトに寝そべりながら
ゆっくり回る作られた星空を見上げて思ったんだ

実際に見上げる星空も実はでっかいプラネタリウムだったらどうしよう
って

ベランダから見上げる空にも天井があったらどうしよう
って

そう
ほんとは宇宙なんて存在しなくてね

どこか遠くの地の果てに
星空を映し出すでっけー
とてつもなくでっけープラネタリウムの元があったらどうしよう
って

とてつもなくでっけー球体があって夜になるとその中心部から発せられた強烈な光が
球体の表面に無数に空けられた穴から漏れ出して
夜空のドームに瞬く星を映し出している


どーしよ

でもそうだったら

ほんとにそうだったら

多分それは
ウルルだな

うん

オーストラリアのウルルだ

エアーズロックだ

あのでっけー一枚岩は実は巨大なプラネタリウムで

夜になると人知れず空に星を映写しているんだ


人知れず?

じゃあ光の根源はなんなのさ

そう
よくぞ訊いてくれました
それが
それこそが
ウルルが世界の中心の呼ばれる由縁なのです

ウルルの中から発せられる光の根源は実は魂の光なのです

死者の魂は世界を巡り巡ってようやくウルルに辿り着き
その巨大なプラネタリウムの内側から光を灯すのです

そして
その光が夜空に映し出されて
輝く星空を遺された人が泣きつかれて顔を上げたとき
あの人は星になったのね
って知るのです

めでたしめでたし


天体望遠鏡が欲しいよぅ
ドーム型の天体望遠鏡付きのお家が欲しいよぅ

やさしいウソ。

なぁ

満たされることってあるのか?

いつになったら心って満たされるんだ?

満たされることはあるだろう
ただ
満たされ続けるってのは無理だ

それは不可能だ
人間が人間である以上は不可能
無理難題なんだ

忘れていく生き物だからかい

そのとおり
人は忘れていく生き物なんだ
良くも悪くもね

だから満たされ続けることは出来ないけど

悲しみに暮れ続けることもない

それってすごく都合のいいことじゃない

都合のいいって言うな

大嫌いな言葉だ


出来るとしたらアレだよね
アレ

現代科学の水位をもってして
満たされ続けるための脳神経をいじくって

満たされ続けるための脳内物質を分泌し続けるしかないよね

いやそれって
シャブじゃん

駄目じゃん

それを自発的に出来たら人間は無敵の生物になれるよきっと


でも
結局ドパミン系ニューロンが飽きちまって
満たされ続けることは不可能じゃんか

リスクが高すぎるし

そんなん諸刃の剣だろ

自我の崩壊じゃ
ジガノホーカイ


じゃあ
いっそのこと脳みそ改造するか

あったじゃん
漫画のドラゴンヘッドでさ

恐怖を感じなくするために扁桃体と海馬の一部を取り除いてしまうか

それも一緒じゃ
ジガノホーカイ

自分が自分じゃなくなったら満たされるもクソもないよな

ロボトミー手術とかも怖いよね

精神分裂症に効果があるだなんて言って
前頭葉切っちまうんだからさ

うつ病にも効果があるんだってね

あれでノーベル賞とってんだから大笑いだっつの

カッコーの巣の上で
ジャックニコルソンがラストにロボトミー手術されて廃人になってたけど

あんなんになるくらいなら
分裂症で鬱々していた方がまだマシだね

なっちまったらインディアンに圧死させられた方がまだマシだね


こわやこわや


こんな愚にもつかない自問自答を毎日のように繰り返しては
悶々としている

そんな20代後半戦

歳をくうにしたがって
ウソをつくのが上手くなってきたのね

誤解を招かないために言っておくと
そのウソってのはやさしいウソのこと

そのウソってのは
ボクが育ってきた上で守ってくれてたものだったってこと

そんなふうにこの頃思うことは

近頃この世にはやさしいウソが足りてないのかなと思ったりするんさ


なぁ
教えてくれよ
やさしいウソと
やさしくないホント
どっちがいい?


別にボクらはどうだっていいんだよ

ボクらなら言葉を変えてペロリと平らげることができるから
本音と建前
社交辞令

でも子ども達にはそんなの通用しないんじゃないの

やさしくしくないホントが
やさしいウソを呑み込むようにして
子ども達を覆いつくそうとしている現代社会を実感するのだ

そうだろ


だから

ボクは
五年後
十年後
やさしいウソつきになっていたいと思うのね

歳を食う度にそのやさしいウソは巧みになっていくのだ

幸せな家庭
平和な世の中
助け合う平等な世界

折りしもボクらが生きてきた道はそんなはずはなく
矛盾だらけだった

でも矛盾を矛盾のままリレーのバトンを渡そうか

違うよな

ただのウソとも違う

子ども達には選択する自由と共にバトンを渡してあげないといけない

信じることと
疑うこと

そのためにはやっぱり
やさしいうそつきな大人が必要なんだ


疑うことを最初に知った子どもは信じることなんて出来やしない

信じて裏切られて
それでもまだ信じたくて

そんな中でも
心が枯れてしまわないように
大人がやさしいウソで子ども達を包むんだ


やさしいウソはまるでオゾン層みたいなんだなコレが
外の世界ってのはもちろん太陽いっぱいであったかくて
生きてるってすんばらしい
ってなるんだけど

実際には太陽光なんて有害物質の固まりみたいなもので
オゾン層がなかったら紫外線やらなんやらの有害な光線で
生物は宇宙忍者に対するスペシューム光線さながらにしてやられてしまうわけ

人と関わるのも同じわけよ

わかるかなぁ




だからボクは自分の子どもが出来る頃にはやさしいウソの達人になろうと思うわけよ

そんでその子どもの子どもにもやさしいウソが伝播するようにね

そんでボクがいずれヨボヨボのやさしいウソつきおじいさんになって
死の床についても尚、懲りもせずウソをつくんだ


おじいちゃん早く元気になってね

だなんて言う子どもの子どもに

大丈夫だよ、おじいちゃんちょっと疲れたから眠るだけなんだよ
遠くに行っちゃうけど
キミはいつも元気でいるんだよ
そしたらいつかまた会えるからね

だなんて最後の最後まで大ウソついてさ
そんでゆっくり闇に落ちていくのさ

ぴゅー


おーい
何を言おうとしてたのか
結局わからずじまいだー

桜ドラマチック。

どっかの誰かが言ってたっけな

愛とか夢とか希望なんてのは
この狂った世の中を逞しくやり過ごす為の麻酔みたいなものなんだってさ

こんな爽やかな季節はトチ狂いやすい
余りにも風が心地よくて
桜の木の元に集う笑顔達が余りにも平和でさ

自分の麻酔不足を実感するん


こないだはパルコに行ったんだ

思わず外に出掛けたくなる陽気で

笑顔で街を歩く人たちを傍目に

ボクはトチ狂いそうになる

耳の奥から
うぃぃぃぃぃぃん
って聞こえてきて

頬の筋肉がビクンビクンしてきて

いらっしゃいまっせぇ
どぅぞごらぁーんくださーぃ

のスタッフに

アメマッ
って叫びたくなって

何故か
何故だかわからないけど

人ごみを見ると

気円斬っ
が出来たらなぁ

って思ってしまうの

でもでも
ボクの戦闘力では及ばないので
せめて

両手を目いっぱいに広げて
群集に向かって自転しながら走り抜けたくなるの


そんな駄目な人だから
街に出掛けるのなら

出来ることなら

地下鉄周辺にある花壇に
ボクの背丈ほどの縦穴を掘っていただいて
首から下を栄養たっぷりの腐葉土に埋めていただいて

ときどき水をあげてほしいと思うの

そして
ときどき話し掛けてもらえたら嬉しい

すくすく育つよ

もっと自然な笑顔で
行き交う買い物客を見守りたいと思った
観察癖を直したいと思った

観察癖というよりは
感情移入癖と妄想癖を


こんな季節は不安定になるんだ

なんでってのはない

どっかの誰かが言ってたっけな

人間には三つの種類があって

ああ
やっぱりめんどくさいや


北朝鮮が人工衛星乗っけたらしい弾道ミサイルを打って
必要以上に煽るメディア
煽られる人たちに

ロケット花火を打ち込みたい

情報戦アホくせー



とあるおじいちゃん達に話を聞いたんだ

そのおじいちゃんは事あるごとに戦争の苦労話をして
シベリア抑留の炭鉱堀の話をしてくれた

陸軍兵士で終戦時に満州にいたらしくて
ソ連軍に強制労働させられてたんだって

もう一人のおじいちゃんは終戦直後に満州から弟と妹と命からがら日本に逃げ帰って来たんだけど

途中
妹は餓死して
弟と自分は中国人に鞭で打たれて虫の息で帰国したんだってさ

もう一人のおじいちゃんは海軍だったらしくて
海軍弁当食ってた話くらいで

他のおじいちゃんに比べて苦労が少ないせいか
多くを語りたがらなかったな

その実
ボクらって幸せらしい

ほんとかい?

北朝鮮のミサイルだー
なんて言いながらも

100年に一度の不況だー

なんて言いながらも

花見で酒飲んで

ああ幸せだなぁなんて

幸せって何なんだろなー

駄目なんだ

どんだけ桜がキレイでも
お酒が美味しくても

花見客の置き忘れた白いポリ袋を見ると

ごめーん
ってなるな

もっと麻酔を
もっと麻酔を

現代は激動なのかなー


映画のラストエンペラーを観たんだ
音楽が坂本龍一なのね

オリジナル版だから3時間40分もあったよ


本はワイルドスワンを読んだよ
上下合わせて1000ページ!

中国近現代史がすんげー

あんな国を主義思想で統一するなんて無理難題やいさほー

いくぜー激動ニッポン
この大恐慌と
情報戦とアメリカに食い荒らされたモラルが
一体どこに行き着くか見ものだぜ

まだまだ目指すでしょ
ユートピアはここじゃないでしょ

よーそろー

うん、たったそれだけの話。

未来は一体どこまで来たんだろう

幼い頃に思い描いた未来にはまだまだ程遠いなぁ

ネットで情報がクイックになって

いつでもどこにいても

今ここにいない人達に自分を発信できるようになって

世界はとっても狭くなったかもしれないけれど


いまだにレンジで温めた弁当は
お漬け物までも温かくなってるし

洗濯物を回して
ちょっと放置して忘れているとひどく臭う

隣に座った人の気持ちなんてわかりゃしないし


相も変わらず
分かり合えない
オナニーみたいな出会い別れに一喜一憂している


いざ
どうしようもなくなったとき
助けてくれるのは
やっぱり一番に近くにいる人なんだよなって



両の手の届く範囲
そこまでしか
ボク達は抱きしめることなんか出来やしないんだなって

甲斐甲斐しく思ったんだ


両の手で掴めるものしか

手に入れることは出来やしないんだってさ




あくまで情報量だけであって

豊かに生きていく
ってことの可能性に相違はないんだ

そこを履き違えちゃいけない

ソーシャルネットワークなんてとんだ思い違いだよ



絶望したとき

もうどうしようもなく

助けて
ってなったとき

わざわざソーシャルネットワークに
助けて
って

それはまだまだ
未来の話


今はまだ
そんなゆとりあったら自分で解決できる範囲なんだと思うよ

一番身近にいる人

例えば隣人



まずは隣人に元気いっぱいに挨拶しよう

興味のないことだって
ああそうなんだ
って相槌を打ってみよう

元気いっぱい
おはよう
って言おう



ちょっとだけ
この
そーしゃるねっとわーくさーびす
ってのが不安に感じたんだ



でも反面
共有って面ではボクらはすんごい恵まれてんだね

皆は繋がっているんだってこと

このソーシャルネットワークのお陰で
嬉しいこと哀しいことひっくるめて
共有できること




うれしいことは
皆からおめでとう

哀しいことは
皆から
ワタシも同じように…

だって
ボクは一人じゃないんだ
皆頑張ってる
って思える

そんなときは
ほんと
ありがとう

おめでとう



そのときだけ

そんな人たちが
手の届くところに居てくれないのが

とても寂しく思えるんだ


手を握って
ありがとうと言いたい

肩を叩きあって
おめでとうって言いたい


哀しいかな
うれしいかな


皆を抱きしめたい
って
ふと思っただけなんだ


でも

出来ないから

この瞬間をしっかり抱きしめよう


そんで
その感覚を大事にして

なるべく皆に伝えよう


そう思っただけの話




みんな
おはよう